「救いの働きが着々と」  07.12.30
                 創世記18:1〜15
  信仰の父と呼ばれるアブラハムは、神さまから命じられて、
それまで住んでいた所から、行き先も知らずに旅立ちました。
 はっきりしなかった神さまのご計画や祝福の内容が、ゆっくりと
明らかになっていきました。
 信仰生活を続けていくことで、神さまの愛をいよいよ深く味わい、
喜びが深まることがおこります。もともと罪ゆえに心の目が閉ざされて
いる私たちですから、神さまの恵みに気付くのは徐々にでしか
ありません。どんなに小さい信仰であっても救われますが、信仰の
成長は信仰生活における楽しみです。
 三人の旅人に扮した主と御使いがアブラハムのところを訪ねて
きました。それは、アブラハムの妻サラに息子の誕生のことを告げる
ためでした。アブラハムは、そのことをすでに知らされていましたが、
サラには伝えることができないでいました。神さまは、サラの悲しみを
良くご存知です。自分に子どもがないことを悲しんでいました。
 アブラハムの子孫が増え祝福されるという神さまの約束に、自分が
関わっていないと思っていました。辛い思いをしているサラに、神さまは
喜びの知らせを一刻も早く伝えたいと願われて、サラの所にやって
来られたのです。
 しかしサラは、年をとった自分に息子が生まれると聞いて笑います。
 諦めるしかない自分の現実をよく知っているからです。
 更に笑ったことをごまかそうとして、嘘をつきます。
 神さまは、そんなサラを責めたてて、非難されるのではありません。
 恐ろしくて嘘をついたペトロや、復活を信じることのできないでいる
トマスを見つめる主イエスのようなまなざしを、サラに向けられた
ことでしょう。
 人の弱さを受け止め、愛に満ちたまなざしを向けながら
おっしゃるのです。「笑わなくてもいいよ。恐れなくていいよ。
喜びを与えるから。私に不可能なことはないから。」
 愛に満ちたまなざしのなかにで、信仰の成長が与えられます。